h-jinの日記

現在 胆管癌ステージ4 奇跡の復活をかけ闘病しながら guitarを弾くギタリストブログです

アニミズムとギター

アニミズム英語: animism)とは、生物無機物を問わないすべてのものの中に霊魂、もしくはが宿っているという考え方。19世紀後半、イギリス人類学者E・B・タイラーが著書『原始文化』(1871年)の中で使用し定着させた。日本語では「汎霊説」、「精霊信仰」「地霊信仰」などと訳されている。この語はラテン語アニマ(anima)に由来し、気息・霊魂・生命といった意味である」

出展 ウィキペディア

 

難しいことはさておき、私は確かにギター一本一本に「魂」なるものが

宿っていると信じている。

それはギターの「製作者」の「気」とか「信念が宿る」とかとは

また別物と考えている。

いや、製作者(ルシアー)の人格、製作意図などが、そこに宿るものの

「格」に影響を与えると感じるので全く別物ではないが・・・・

 

そのギターに宿るものをプレイヤーが「育てる」というわけである。

よく「ギターを弾き込めば音が良くなる」ということが言われており、

科学的に「木材の中の水分」やら「分子の並びが弾かれることで揃う」とか

木材の接合部分が弾かれることにより馴染んでいき、より共鳴するようになる・・

とか、まことしやかに諸説紛々流れている。

確かに「科学的には」そうかもしれない。

私にはそんなものより プレイヤーの弾くときの「想い」が

ギターに宿る魂と共鳴していく、そして宿るものが成長していく・・・

そう考えているし、その方がロマンがある。

 

また、私の好きな言葉に「音楽は祈りである」というものがある。

祈りとは「感謝」でもある。

昔読んだ書物に「祈り」の語源を調べていくと「神への感謝に繋がる」と

書いてあった。

よく神前で唱えられる「祝詞」(のりと)というものがある。

高天原に神座ります・・・」で始まるものだ。

この「のりと」の「のり」は「宣り」から来ており、神聖なるものが伝えるとの

ことであるからして、「祈り」も「のり」に関連している、とのことだった。

 

よく今でも「初詣の時にあれこれ神様にお願いするのではなく、感謝することが

本当の詣でるということだ」と言われる。

私もそうだと思っているし、だから正しい祈りとは「感謝すること」だと思っている。

 

すると先ほどの言葉、音楽は祈り、ならば音楽とは感謝を神に捧げるもの・・・となる。

その気持ちを持ちながらプレイしていきたい、最近はそう感じている。

そうすることでギターに宿るものと共鳴もし、そのギターの奏でる音が

自らも他者も環境をも癒していければ・・・と勝手に思っている。

 

感じたことをつらつらと書いたまでで、これが「正しい」とは一切言明してないので

念のために・・・